皆瀬川

身近な水環境の
全国一斉調査結果







第18回 身近な水環境の全国一斉調査

「身近な水環境の全国一斉調査」は、2004年から毎年65日の世界環境デーに最も近い日曜日を中心に全国の市民団体が実施しています。その結果を基にわかりやすいマップが作成され、全国の河川や水辺の様子や水質などの現状が把握できるようになりました。(国交省のホームページに掲載)私たちも第1回から参加しています。

今年は66日(日)に全国で一斉に調査がおこなわれ、私たちは境川3カ所と皆瀬、井堰川の5カ所で水質を調べました。水質は、全国の河川と同様に汚濁が著しかった1970年代と比べると法整備や下水道の普及などにより改善されてきていますが、更なる水質の改善が求められています。

身近な河川の水質はそこに住んでいる人の暮らしに大きく影響を受けるので、水質と流域のかかわりを知ることも重要です。例えば、市内の側溝の汚れや洗車に使用した洗剤混じりの汚水は直接、川へ流入します。市民一人ひとりが水を汚さないことで、新たな水質汚濁を防ぎ根本的な水質改善につなげていくことができます。自分たちで調査することで身近な水環境に対する関心を深め、意識の向上にも貢献します。

最近、全国でも子どもたちの参加が増え、広がりのある活動になっています。市内でも2校の4年生がため池の水質を調べています。ため池の水も支流を通り、境川に流入します。水環境の保全について関心を持つ若い世代の育成にも寄与することが期待されます。

境川には17本の支流があります。豊明市では直接流入するのは若王子、井堰、正戸、皆瀬川です。私たちが調査する境川の最初の地点が山伏橋で、ここで採水しますが、川の観察も調査上の重要項目です(写真1)。橋から上流を眺めると本流と支流が交わっているのがわかります(写真2)。上流に向かって左が本流で、右が支流で茶屋川と言います。この川を本流から遡ると刈谷市の大池に入り、トヨタ自動車明知工場の南東を通り、その先は暗渠になっていて源は不明です。茶屋川の水質、流量を測定したことはありませんが、境川に多少は影響を及ぼしていると思われます。合流点の近くでは周りに水田や畑が広がっています。ここに降った雨は撒いた肥料や農薬などと一緒に境川へ流入する可能性はあります。

山伏橋から少し流下すると井堰川が天井川の境川に寄り添いながら流れて新田町森西で合流しています。井堰川の水質はさほどよくはないのですが、写真3のように中州があり稚魚が育つには好都合な環境となっています。市内では生きものがたくさんいる川で沓掛小の子どもたちが毎年、川の探検をしています。

3番目の調査地点は境川橋です。ここの少し上流で刈谷市北部にある洲原池、草野池を水源とした草野川が南西に流れて刈谷市井ケ谷町で境川に合流しています。このあたりは豊明市と刈谷市の排水の影響を受けながら水は土色に濁り、所々に浮いている泡と共にゆったりと流れていました。ミシシッピアカミミガメが2匹と土手にモンキチョウ、スズメが数羽いました。かつて、この場所でライギョが数匹群れているのをみたことがありますが、最近は生きものを観察することが少なくなりました。

このような環境での調査ですが、どの地点もCOD(化学的酸素要求量のことで、試水中にどのくらい酸化される物質、主に有機物があるかを示すもの)は5/以上で少々高めでした。山伏橋付近で特に数値が高くなっていますが原因はよくわかりません。2008年から2011年は4/だったので(右下のグラフ参照)特に心配することはないと思いますが。全国一斉調査の平均(2020年)では03/未満の地点が46%となっています。境川も4/程度を維持できるようにしたいものです。

河川は単に治水・利水の機能だけではなく、うるおいのある水辺空間や多様な生物の生息・生育の場として豊かな自然環境の保全や再生が期待されるようになってきています。子どもたちは川遊びを通じて、生きものと触れ合い、自然や命について考える大切なきっかけになります。(中村)  ▼水質調査結果はこちら 
 

1.山伏橋の上から観察 2左本流、右支流の茶屋川 3.井堰川 4.境川橋の下 左岸
5.境橋の上から上流 6.透視度測定 7.子どもが覗き込んでいる 8.皆瀬川

      

                     
   



17回 身近な水環境の全国一斉調査

尾張と三河の境界を流れる境川

境川は延長39.8㎞の二級河川です。川の周りの大半は田畑ですが、みよし市、刈谷市では川から少し離れた場所に住宅街が広がっています。川の中流部豊明市などには洪水対策として広い河川敷が遊水地として設けられています。川はいくつかのため池や支流と合流しながら衣浦港に向かって緩やかに流れています。境川の源はみよし市と豊田市の境界にあるゴルフ場に囲まれたさほど大きくない池です。長田池(標高は約150 m)というそうです。
航空写真で見るとゴルフ場は丘陵地をバリカンで虎刈りにしたように見えます。かつては豊かな自然が広がる里山で、長田池は雨水を溜め稲作に使用したため池だったのでは。今ではゴルフ場に散布した除草剤混じりの水が流れ込んでいるのかもしれません。水源の水質も期待できそうにありません。ここから流れ出た水は、境川という名前の通り、尾張と三河の境界を流れています。下流までを辿ってみるとみよし市内を南北に縦断し一旦東郷町内に入ったあと、東郷町とみよし市の境界、東郷町と刈谷市の境界を流れて豊明市と刈谷市の境界を通ります。私たちが毎年水質調査をしている山伏橋、境川橋の下を流れ大府市と刈谷市の境界、東浦町と刈谷市の境界上を流れたのち、衣浦湾に注ぎます。

もっと昔の境川はどうだったのでしょうか。豊明市史によると、古くは衣ヶ浦の一部として、入江の状態でしたが、年々入江は埋め立てられ土地を広げていっています。江戸時代の初期になって境川の堤防は、新田開発と共に補強されます。この堤は尾張と三河では高さが違っていたようで堤防の決壊は度々ありました。いつしか天井川になった境川の役割は、排水が主になりましたが、土地によっては用水として利用していました。尾張と三河の国境にあるこの川を行き来した人々に思いを馳せながら川を眺めてみるのも一興です。昔も水量は少なっかったのでしょうか。桶狭間の戦いでは今川軍の兵士が何万人?もぞろぞろと長い列を作って渡ったのででしょうか。

鎌倉街道や東海道など古代から現代まで主要な道路が境川の上を通っています。心打たれるのは、静かに流れる境川の水が、多くの旅人を楽しませたという事実です。多くの歌が詠まれています。
「境川旧渡」今の街道より半里ばかり北にして
十三の東五丁ばかりにあり 是古の渡瀬なり(これは鎌倉街道の境川渡瀬をいいます)
「富士紀行」さかひ川を見て
それと聞くしるしばかりかさかひ川
ほそき流れは名にながれても   稚世卿 
かつて日本人は水と親しく、川を大切にしていたのだととわかります。

私たちが「身近な水環境の全国一斉調査」で境川の水質調査を始めて17年目になりますが、流域調査団体は私たちだけのようです。流域で、多くの人たちが調査に参加すれば点が線で結ばれ、つながりのある結果が得られるのに残念です。そして、調査した身近な水環境と他の地点の結果を比較することにより水環境の状態を理解し、評価できます。そこから河川の流域さらに広域の水環境の保全や水の汚れの原因を調べ、考えるきっかけとなります。
愛知県は昨年27団体が参加して162地点で水質調査をしています。国交省河川局の「河川水質調査要領」によると、河川の水質調査の目的は多岐にわたっています。私たちが共感している調査目的に「豊かな生態系を確保するための水質調査」という項目があります。それは、地球規模での環境問題を背景に自然との共生がクローズアップされ、河川は多種多様な生物が生息する自然環境の場として強く認識されています。身近な水環境の調査を始めてから、より多くの河川や水辺の様子や水質などの現状が把握できるようになりました。調査は継続して実施することで水環境の変化やその原因などが明らかになります。市民が自ら水質を調査し、水環境の実態を明らかにすることにより、その保全と修復に関する今後の活動に発展することができます。

調査は20046月に開始され、今後も年に1回継続される予定です。このような調査を通して水環境に対する市民の理解と関心がさらに高まると期待されています。私たちは境川の他に支流の皆瀬川と井堰川の水質調査もしています。少し紹介しましょう。皆瀬川は市内南西部の西池を水源として大蔵川・高根川を合わせて南へ流れ、大府市北崎町南蒲野で境川に注ぎます。下流には五ヶ村川との立体交差である水無瀬樋門(みなせひもん)があります。支流の大蔵川は大蔵池から東に流れて栄町姥子で皆瀬川に合流しています。井堰川は勅使池に源を発し、南東に流れて新田町森西で境川に注いでいます。勅使池以外の主な水源に金山池、皿池、荒巻上池および下池、長間地池、道池、住吉池、洞
洞池があります。その他に正戸川 、黒部川、阿野川などが境川の支流になります。今回、大きく様変わりしていたのは皆瀬川です。上流から流れてきた土砂が梶田橋付近で溜まり、中州ができていました。土や植物には自然浄化作用があり、ここの水質は上流より改善されていました。ところが治水上の理由からだと思いますが、川底の泥を除去し味気ない3面コンクリートの排水路と化していました。昨年は中州のヨシの間でバンが子育てをしているところやコイが群れをなして泳ぐ姿が見られました。流域住民を水害から守るのは大事ですが…。(中村)